後悔後悔後悔

電車やバスにいる高校生を見るだけで劣等感を感じるし羨ましく思う。なぜ今僕は制服を着ていないんだ?という疑問と過去への後悔

まさにamazaashi の「僕が死のうと思ったのは」でいう「ベッドの上で土下座してるよあの日の僕にごめんなさいと」状態。

家に帰って過去を一つ一つ振り返る。別に振り返ってもどうにもならないことを。そしてあの時はダメだったなとかあの時は良かったなとか考えてると自然と消えたくなる。同じ過去を何回も振り返って後悔してそれだったら最初の後悔でもう消えておけばよかったと。

死への恐怖で生かされているといっても過言ではない。だれか死について解明してくれないか?宗教的なやつではなく科学的な。

どうせ死なないくせに死にたいと言うなという言葉はよく聞くがその言葉で何人あの世へ逝ったか数えれるなら数えて見たい。

なぜ今生きてるんだ?あの時に死ぬべき人間だったのに。でもたまに死ななくてよかったと思う日がたまにあること。「ポエジー」状態。

過去の自分が悪かった1シーン1シーンが頭に浮ぶ。その度にごめんなさいごめんなさいと言って同じシーンで何回謝ったんだろう。

どんなけ変わりたくても僕の幸福は人と比べるから相対的だしいつでも相手の評価しか考えれず嫌われたくない一心で何も変われない。

これを書いて何を求めてるの?慰めて欲しいの?これを読んでる人からの罵声が聞こえてくる。生きづらい。後悔。後悔。

 

これを書けて少しでも気が楽になってることを望みます。

エンディングテーマについて

amazarashiのエンディングテーマという曲がある。その歌詞に自分がずっと心に残ってる言葉がある。

それは「満たされていないからこその願う力」という言葉。

その後には「腹が減ってる食欲みたいなもの」と続きます。

 

まあ簡単に言えば「無い物ねだり」ってことですね。

皆さんからすればこれは当たり前のことだと思うんですけど特に何も考えず生きて来た自分にとってはそう言われたらそうだなと思いました。

 

この「満たされていないからこその願う力」という言葉で自分は今ある現状がいかに大切かというのを分からされました。

なぜか。「腹が減ってるときの食欲みたいなもの」というのは腹が満たされていたらこんな食欲なんて湧かないわけです。

何が言いたいかというと今ある現状の満たされている部分は自分では気付きにくいということ。

そしてそれは失って初めて気付くもの。

なので例え腹が減っているときでもその感情を忘れないように大切にしたほうがいい。

 

私はこの1年ほとんど家に引きこもって生活をしていましたが、残念ながらまだ今ある現状を大切に思うことができていません。(さっきと言ってること違いますねw)

いつも過去と今を比べてしまって「あの時はまだ良かったのに」とかいうたらればをよく考えてしまいます。そんなときにエンディングテーマの「満たされていないってのは幸せなのかな、だとしたら今の僕はきっと幸せなんだな」

という歌詞を思い出して少しでも今を大切にしようと思えるようになりました。

 

こんな雑な説明で納得できるかは分からないけど、どうかみんなは今を大切にしてください。

 

花は誰かの死体に咲くかっこいいなあ

自分の頭は不良品なのでamazarashiの歌詞の意味を全て理解はできないけど自分なりによく考えてるんだけどやっぱいいなあ 浅いコメントだったら申し訳ない。

 

何がいいかって歌詞に共感できること。amazarashiは曲が多いから一個一個上げていったらきりがないけど、例えば花は誰かの死体に咲くの「嫌なニュースばかりで耳をふさいでいたら発車のベルを聞き逃して南無阿弥陀仏」とか。

結局人間はいくら無気力だとしても何かをやらないといけないんだよね。まあ息を吸ったりそれはもうきりがない。そして嫌なことをやらなかったら結局自分に災となって降り注いでくる。

めんどくせえ世界だよなみたいなamazarahiの考え方というか皮肉?そんなのが好きです。

そして花は誰かの死体に咲くって自分を肯定する曲なんだなって「綺麗でもなんでもねえ汚れた友が笑えば僕の失敗の肯定」とかを見て思った。

 amazarashiの曲を聴いているとやっぱり俺なんて17年間なにもやってこなかったのにあなたの曲に助けられていいのかって思ってしまう。

 

自分について

初めてのブログです。正直何から書けばいいのか全く分からないので適当に。ちなみに文を作るのほんと苦手です。

 

僕は今からちょうど1年前くらいにある理由で高校を1年でやめ、食っては寝るというくそみたいな生活をしてきた17歳の人間です。

ある理由とはまあ自分の精神力の弱さが主な原因なんですが高校の普通科っていうのは大体、文理選択というのが大体あると思うんですよ。一般では文系っていうのは理系より勉強が楽と言われてますが、うちの学校での考え方も同じでした。理系に行く子はまじめで成績上位の子が選択するという感じだったんです。そしてクラスも文系と理系で別れる。

はじめ、私は文系を選択していたんですけど友達もいなく、一人だった自分は文系のクラスに馴染めるのかという不安だけがありました。唯一、一人の友達がいたんですけど彼は理系に行くといっていて正直その子なしに学校を続けていく自信がなかったので自分も理系を選択しました。(理系の人はまじめな人が多くて静かに過ごしてられるという理由もあります)将来の夢ややりたいことなんて特になかった僕からしてみれば簡単に道を変えることなんてできたわけです。ですが先生に理系に変更するという旨を伝えたところ、学力が足りないとか提出物をきちんと出せとか色々ダメ出しをされ、今後の様子を伺って他の先生とも話をしてからと言われましたが正直理系にいこうが文系にいこうが人の勝手じゃねえかと思ったし、提出物とか勉強を何もやらなくても半分以上の順位をとれてた自分からしてみればこんな偏差値も低いくそみたいな学校に学力どうこう言われたことに苛立ちを覚えました。

ですが当時の自分は精神的に弱い部分もありダメ出しされたことに関する自責の念だけが心に残って授業中も朝の小テストも朝補習とかいう行き過ぎた勉強制度の間もそれしか考えられなくなって、例えば「しっかりと勉強しなければ」だとか「提出物はしっかりやる」だとか「朝の小テストの予習はしっかりやる」だとか「失敗が許されない」そういったことしか考えられなくなった時期が3か月ぐらい続き、朝補習で朝は5時起きで自転車で1時間かけて学校へ通ってそんな毎日でなんかもう生きてる意味が見いだせなくなって「生きる意味」というのをつね日ごろ考えてしまうようになりました。

そして私は逃げ出しました。逃亡生活について色々書こうとしたらなんか小説みたいになってしまったのでやっぱ書くのはやめておきますwまあそれで無事に家に帰ってきたわけですがそういった経緯があって学校をやめました。帰る場所があるだけ多分自分は幸せなんでしょう。

 

そして高卒認定試験に合格して月に1度のカウンセリングと毎日予備校へ通って(まだ1週間しか通ってないですが)今年の大学受験に備えてるって感じです。学校をやめて後悔はするものだと自覚していたつもりでしたがやっぱりやめてから半年くらいが過ぎる頃に急に過去の記憶が美化され、後悔の日々が続きましたね。ですが今は学校をやめて失ったものは多かったですけど得たものの方が多いと自分に言い聞かせてなんとかポジティブにやっていけています。

 

他者の評価しか考えられない自分を変えるために自分が満足できるブログを書ければいいなあと思ってます。ちなみにamazarashiの大ファンです。アニメも結構知ってます。